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Top 矢印 記事一覧 矢印 #2 “生き様”を言葉に。(友田智佳恵さん) 「私はね、すごく言葉を大切に生きている人間なんだ。」 自分が感じていることを否定しないことが、言葉の出発点。

#1 「ケアの始まり」のあらすじ
 12歳のときから突如として始まった母親の介護。20代後半になった友田さんは、ようやく「ヤングケアラー」という言葉と出会う。その言葉を手がかりに、仲間作りのため気軽な気持ちで申し込んだスピーカー育成講座への参加が、彼女の新しい歩みへとつながっていく。
                                  【取材・執筆: 氏原拳汰】

(前回の記事はこちらから)

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 講座からしばらく経ったある日、スピーカーとして初の依頼が彼女のもとに届いた。

 “それが、2年半前(2021年の夏頃)かな。初めて来た依頼が、町田市での講演依頼だったの。事務局の方が「友田さん、地元ですよね?」って振ってくれて、「じゃあやります!」っていう(笑)。その講演でペアだったのが、ゆみこさん。”

▲田中悠美子さん(左)。現在は、友田さんがピアサポートスタッフとして所属する一般社団法人ケアラーワークスの代表を務めている。

 地元で開催された一件の講演から幕を開けた、友田さんのスピーカー活動。そこから徐々に活動範囲も広がり、今では日本全国の講演や研修に登壇し、自身の経験を共有している。

――当初は体験を語るつもりがなかったのに、今では全国で大活躍ですね(笑)

 “こんなことになるなんて思ってもみなかったよ(笑)。ただ、スピーカーに向いていたんだとは思う。最近よく、「なんでヤングケアラー支援を始めたんですか?」って質問されるのね。それで大抵、私がケア経験のある人たちを「救いたくて」やってるみたいに思われがちなんだけど、私の場合、実はそうではないんだ。

 まず、ケア経験があったことによって、自分自身が子どもらしくいられなかったんだよね。やっぱり、お母さんのケアをずっと担っていて、それが時々嫌なこともあったけど、家族のためだと思ってそれなりにこなしてたの。でもその分、時間的な制限は避けられなかった。その時間的な制限が私にとっては、自分の「可能性の制限」だったんだ。

 「なんか自分らしく生きられないな…」っていうのが、私のヤングケアラー時代だったのね。やっぱり、お母さんを第一優先にしなきゃいけないから、自分がこうしたいって思っていても、自分の本音を二の次にしてケアをするじゃない? そんな日々を送っているうちに、自分の本音が何なのかも分からない状態に陥っちゃって。要は役割を生きている状態だよね。自分自身を生きるというよりは。自分を発揮できていないもどかしさをずっと感じつづけてた。それで、自分の中にある「やっぱりやりたい!」っていう直感に従って、日々を過ごすようにしたら、スピーカー活動に出会ったんだよ。

 だから、私がこういう活動をしている理由は、「世の中にヤングケアラー支援の視点が足りない」とか、「社会がもっとこうなったらいい」とか、そういうことを考えているからではなくて、あくまでも、私が私らしく生きていく過程の中で、自然とスピーカー活動に行き着いたからなんだよね。”

――そう考えると、スピーカー活動は友田さんにとっての天職ですね。

 “そうなのかもね。私はお母さんのケアもしてきたし、子育てが始まるのも早かった。もっと言えば、おじいちゃんが障害を持っていて、ずっと義足の人だったの。実はお母さんが倒れる前から、そういうケアを少しやっていたりもしたのね。それで、今年の初めまでは認知症のおばあちゃんの介護もあったから、私の人生って、ずっと人のケアをする人生だったんだよ。だからやっぱり、ケアの中で失ったものもあったし、ケアがあったから苦しく感じたことだってあった。

 でも、自分らしく生きたいって思ったときに、「これからはもう、自分の人生を自分自身で否定するのはやめよう」って思ったの。だから今までの人生におけるストーリーの中で、自分の今後の人生に生かせることはなんだろうか、みたいなことを真剣に考えはじめた結果、今の活動に至ってるんだよね。”

 「自分らしさを発揮したい」という願望の中で、友田さんの前には常に「可能性の制限」という壁が立ちはだかっていた。その大きな葛藤を乗り越えるために、彼女はあえて、自分自身の内面に矢印を向けた。

 “あるとき、ケアを担っているからできないんだっていう気持ちと、ちゃんと向き合ったことがあったの。「私はケアと子育てがあるからできないって思ってるけど、本当にできないんだろうか」って。

 そうすると、「いやいや、これは意外と自分自身の思い込みじゃない?」って感じた部分があったんだよね。だから少し怖いけど、そういう思い込みと対峙するために一歩踏み出してみることにした。最初は本当にスモールステップではあったけど。

 例えば、今もお母さんはデイサービスに通っているんだけど、今まではデイサービスの送迎の時間に合わせて働くことができる仕事だけを選んできたのね。でも、「もしかすると、デイサービスの人に家の鍵を開けてもらって、ベッドにお母さんを座らせておいてもらえれば、私は別に、いつもその時間に合わせて帰らなくても大丈夫なのでは?」と思って。

 だから、それをデイサービスの人にちゃんと確認してみた。「私がいないと、いろんな人に迷惑かけちゃうし…」って思いながら諦めていたところを、自分の思いを諦めないためにはどうしたら良いかを考えた上でね。”

 これまでの日常の中で制限を受けてきた事柄について調整し、少しずつ動き出そうと試みた友田さん。その一方で、2児の子どもを持つ母親として、ある悩みにも直面した。それは、自分自身が子ども時代、ケア役割を担いながら過ごしてきたことに起因するものだったという。

 “私のお母さんの場合、医療的ケアとかは必要としないし、コミュニケーションも取れないわけじゃないから、1時間ぐらいの短時間であれば、一緒にいたとしても重いケア負担はほとんど生じないのね。もちろん、丸1日一緒にいなきゃいけない状態だったらそれなりにケアが必要だけどさ。

 でも、私としては、家の中にケアを必要とするお母さんと子どもたちだけがいる状態を少しでも作ってしまったときに、もしかしたら自分の子どもを「ヤングケアラー」にしてしまっているんじゃないかって、悩んでいた時期があったんだよ。

 だから一度、子どもたちとそのことについてちゃんと話し合ったの。「今までママはばあばのことを優先してきたけど、今は仕事を頑張りたいとも思ってる。だから帰りが遅くなって、ばあばとあなたたちだけの時間が少しだけできてしまうかもしれないけど、それについてはどう思う?」って。

 そしたら、中1の息子は「いや、別に俺はなんとも。家族なんだし、ばあばといるの嫌じゃないよ」って。小4の娘からは「ママが働いていっぱいお金を稼いでくれたら、ユニバーサルスタジオに行きたい」って言われたのね(笑)。

 私はやっぱり、自分自身がヤングケアラーとして苦しい思いをしてきたからこそ、自分の子どもたちは「絶対に、そうさせない…!」って、過度に自分自身の生活を制限していた部分があったんだけど、子どもたちは、私が自分らしく働こうとしていることに関しては、特にマイナスな感情を持っていなかった。 

 そういう形で色々と確認しながら、今まで自分が抱えてきた制限を可能な範囲で許容していくことで、少しずつ調整していった感じかな。”

――それってやっぱり、勇気が入りましたか?

 “うん。やっぱり怖かったよね。自分は今まで、そうやって生きてきたわけじゃないから。むしろ、ケアという役割の中で生きてきて、その役割において自分は必要とされているからそれをするんだっていう、明確な理由があったわけだよ。でもその中で、自分の本音って必要とされてるわけでもない。

 だから、自分の本音に従って行動しても、それが成功するかもわからないし、そもそもそれが正解かどうかすら分からないんだよね。そういう状況の中で、自分の直観だけを頼りに何かを選択していくっていうのは、やっぱり怖かった。”

――そのハードルを越えたことで、今の友田さんがあるっていうことですよね。

 “だから皆、私と会うと元々こういうね、元気な、 ポジティブな人間なんだって思うらしい。でも、ずっとそうだったわけじゃないし、やっぱりいろんな葛藤とか、向き合いの中で、今の自分がいるっていう感じ。本当にそう。”

 友田さんの語りの節々から滲み出る“言葉の力”は、自己との向き合いの蓄積の上に育まれてきた。だからこそ、彼女が紡ぎ出すメッセージは、聴く人の心を根底から揺り動かし、多くの支援者や当事者の新たな歩みへと繋がっていく。実際に講演を行う中で、様々な人たちから多くの反響があったという。

 “やっぱり当事者の方だと、講演の後に直接話に来てくれて、涙されたりとか、「自分もそうでした」って言ってくれたりとか…。私は支援のハウツーとかではなく、「どういう風にヤングケアラーを見つめるのか」とか、「ケアラーの存在に思いを馳せることの大切さ」とか、そういう支援の「あり方」について発信してるんだよね。

 特に行政の方は、支援に対する思いがあったとしても、縦割りの中でなかなか実現できないことも多かったりとか…。でも、私の話を聞いて、「いや、やっぱり支援の“あり方”が大事ですよね」 って納得して、そこから火を灯しなおす方がすごく多い。私も「どこか押し付けるような言い方になってないかな…」とか、伝え方に悩むこともあるんだけど、講演をした後、聞いてくれた支援者の方からそういうメッセージをもらえると、「やっぱり、間違ってないな」って思えるんだよね。ちゃんと皆さんの心に届いてるんだって実感できると、すごく嬉しい。”

――こうやってインタビューをしていても、友田さんがスピーカーとして活躍されている理由がすごく分かるような気がするというか…。一つ一つの言葉に、パワーみたいなものがみなぎってますよね。

 “それはね、多分、私が自分の言葉で話しているっていうのが1番大きいと思う。私はね、すごく言葉を大切に生きてる人間なんだ。言葉を選ぶときも、どの単語、どの語順、どの文脈を用いて表現するのかっていう、私なりの異常なこだわりっていうか、多分私なりの哲学みたいなものがあって。だから、言葉に嘘がないんだと思う。言葉の表現を妥協していないから。

 例えば、インタビューされていても、質問者の言葉の中に使われている単語とかが、どういう意図で用いられているのかが分からなかったときは、しっかりこちらから質問をするようにしているんだよ。「どういう意図でこの単語を選んでいるんですか?」みたいな。中には、質問者がそこまで深く考えてない場合もあるんだけど、私の方はかなりそのあたりを考えながら言葉と向き合っているから、嘘偽りない言葉を発することができるんだと思う。多分そこは自分の強みなんだろうね。”

 自分の「ケア経験」を言葉にすることの難しさ。今も、多くのヤングケアラーや若者ケアラーがそのハードルに直面している。スピーカーとして活動する友田さんに、経験を言語化する「コツ」について聞くと、次のように答えてくれた。

 “表現って「アウトプット」じゃない? 外に出すっていうところまで至れる人って中々いなくて、その前の段階で、自分の感情とか本音とかと向き合っていく作業が大きなハードルになっていくと思うんだよね。だからまず、そもそも、自分自身が感じていることを「否定しない」っていうところから入らないと、アウトプットまでたどり着くことって難しい。

 例えば、ケアの経験を表現する1つの方法として、「ケアが苦しかった」っていう方向性の伝え方もある。でも、 「苦しいって思っている自分は、弱い人間なんだ」って思っていたら、苦しかったっていう感情を、素直に言葉にすることができないじゃん。だからやっぱり、自分が抱いている感情は、「全部オッケーだよ」って、自分自身で受け止めてあげることから始めることが大切だよね。

 自分で自分の感情を否定し続けるとさ、やっぱりつらいよ。特にケアをしている場合、ケア対象者への気遣いとか、責任感から自分の感情を抑えるというか、自分自身で「こういう感情を感じちゃいけないんだ」っていう前提を設定しがちでさ。それで、苦しくなっていく。

 でも、ケアをしている中で、どこか自分の感情に気づいてる部分があったりもして。気づいてはいるけど、その感情を第一優先にしてしまうと、「ケアをしたくない」って思われてしまうんじゃないかっていう怖さもあるじゃん。そういう中で、どんどんと感情を抑え込んでいってしまう。それで、徐々に本音と向き合うのがしんどくなってきて、自分の感情に対して見て見ぬふりをするようになっていくんだよね。それをずっと続けていくと、だんだんと自分自身が何を感じてるのかも分からなくなったりして…。でも、そういうことって結構あると思うんだ。”

――ケア役割を担う子どもや若者の中には、今、そういうハードルを何とか超えていこうとしている人たちもたくさんいます。そういったケアラーの人たちにとって、友田さんの存在は1つの「ロールモデル」になり得ますね。

 “私はお話するだけなんだけど、私が自分のストーリーを話したりとか、自分の思いを思いっきり表現してるときが、多分皆さんの胸に一番響く瞬間だと思う。私が私らしくそこにいて、自分を発揮してるっていう。

 私はスピーカーとして、「生き方」を提示するというよりは、どちらかというと「生き様」を見てもらいたいんだよね。私のあり方とか、生き様そのものが、皆さんを元気づけられるなら、やっぱり自分に嘘をつかずに、人間らしく、そこにいるっていうことが1番かなって。”

                               (♯3 「灯火を胸に。」へ続く)

プロフィール

友田智佳恵

 12歳のときに母がくも膜下出血で倒れ障害を負ったことにより、ヤングケアラーとなる。当時はヤングケアラーの自覚はなく、大好きな母のためにと、自分にこなせるケアを担いながら学生時代を過ごす。現在は子育てと介護を担うダブルケアラー・元ヤングケアラーとして、様々な講演会にて自身の経験や思いを語りながら、一般社団法人ケアラーワークスのピアサポートスタッフとして、ケアラー支援に携わっている。(Instagram

 

インタビュアー・執筆

氏原拳汰

 元若者ケアラー。大学時代にレビー小体型認知症の祖父の介護を経験したことから、ヤングケアラー・若者ケアラーへの支援の取り組みに関心を持つ。現在は心理系の大学院に通いながら、ヤングケアラー協会の活動に参画中。また、友田さんと同じく、一般社団法人ケアラーワークスでもアルバイトスタッフを務める。個人HP

  

執筆協力

そら

 元ヤングケアラー・現若者ケアラー。重度の障がいのある弟のケアをしている。将来はケアラー支援に携わる仕事をしたいと考えており、社会福祉士の取得を目指す。ヤングケアラー協会が主催するイベントにも参加している。

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