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Top 矢印 記事一覧 矢印 【#3】離れて暮らしても、家族のケアは終わらない——社会人になり、2年の時を経たAさんの現在地

家族のケアと家計の重圧を抱えたまま、Aさんは家を出る道を選んだ。前回のインタビューから2年。自分の道を歩き始めたAさん、そして実家に残された父と母。物理的な距離ができて変わったことと、それでも変わらなかったことは何か。その後の状況と心境の変化について聞いた。
※この記事は2026年5月にインタビューした内容をもとに構成しています。

——この2年で、ご家族との関わりはどう変わりましたか。

社会人になって一人暮らしを始めたので、父と直接関わるのは、帰省する時ぐらいになりました。今は基本的には母がひとりで父の面倒をみています。ただ、全部を母に任せきりにするのは申し訳ないので、毎月生活費を実家に入れるようにしています。

働き始めて、時間にも金銭的にも少しゆとりが出ました。その分、精神的にも余裕が持てるようになった気がします。

 

——お父さんへの気持ちにも、変化がありましたか。

2年前は、父に対していい感情を持てませんでした。最近は物理的に距離を置いたのと、自分自身に少しゆとりができたことで、父に何かしてあげたいという気持ちが出てきました。

休みを取って、たまに父の通院に付き添ったりもしています。

 

——帰省することについては、どう感じていますか。

実家に帰ると、以前と同じ重苦しい空気の中に戻ることになります。母の愚痴をたくさん聞かされ、父の状況も、お金のことも、何も解決していない現実を突き付けられる。心配な気持ちはもちろんありますが、暗い話ばかりだと、正直、気持ちが沈んでしまう。薄情に思われるかもしれませんが、離れている分、できることはしようと思っています。

 

——お父さんの状態は、この2年で変わりましたか。

父の状態も良くも悪くもなく、この2年ずっと同じ状態のままです。体力は落ちているかもしれませんが、歩くことやお風呂に入ることなど、身の回りのことは基本的にはひとりでできます。

ただ、身の回りのことがひとりでできるからといって、手がかからないわけではないんです。脳出血で認知機能が低下しているので、父ひとりで段取りをして何かを進めることが難しい。食事も母が用意すれば食べられるということで、ずっと支えが必要な状態が続いていて、まだまだ厳しい状況です。

 

——以前、福祉サービスがなかなか使えないと伺いました。

実はこの2年間も、父の支援に関することはほとんど手つかずのままきてしまいました。ずるずると時間だけが過ぎていった感じです。でも、僕にはこの状況をなんとか変えたいという気持ちがありました。母も疲れ切っている様子だったので、僕が少し金銭的な支援ができるようになった今こそ、福祉のサービスを利用すべきなんじゃないかと思ったんです。

ただ、サービスの詳しい内容については知識が全くありませんでした。近頃、以前お世話になったNPOに久しぶりに連絡を取ったことで、今ちょうどその手続きが進んでいるところです。

 

——お父さんの仕事についても、動きがあるそうですね。

父の就労支援(働くことが困難な方が、自分に合った働き方を見つけ、社会的に自立できるよう支援する取り組み)の事業所とやり取りをしていますが、実はこれは僕の仕事がきっかけなんです。

僕は仕事で障害をもつ子どもの支援に携わっていて、その中で就労支援の現場に触れる機会がありました。どんな作業をするのか、一日の流れがどんなものかを見て、「父もこういうことならできるんじゃないか」と思ったんです。

それで母とも相談して、実現のために動き始めました。先日父と一緒に施設の見学に行ったんですが、そもそも父自身が「行ってみたい」とすごく前のめりで。「いつから働けるんだ」と聞かれて、「それには段階を踏まないといけないんだ」と繰り返し説明しました。父は専門職として長年仕事に打ち込んできたので、やっぱり働くことに生きがいを感じるタイプなんだと思います。

 

——ご自身の仕事が、思わぬところでお父さんの支援につながったんですね。

そうですね。仕事のほうでも、実家でのケアの経験が生きていると感じることがありますね。障害をもつ子どもの保護者と接する機会が多いんですが、家族に障害をもつ人がいるという点では、僕も保護者の方も同じ立場です。だから、困りごとを聞いた時に、「頑張ってください」「大丈夫ですよ」と言うだけでなく、もう少し寄り添った言葉がかけられるようになったかもしれない。ご家族は余裕を持てないことも多いので、そこをうまく汲み取りながら関われるようになった気がします。

 

——以前、進学を諦めて働く道を選びました。今、振り返ってどう感じていますか。

後悔はないです。ありがたいことに人間関係にも恵まれていますし、趣味を見つけて楽しめるようになりました。ひとりの時間も増えて、有効に使えています。この道を選んで、間違っていなかったなと思います。

ただ、進学して学んでみたいという気持ちは、変わらず持っています。今の仕事だけでなく、いずれ別の道に進んだり、いろいろな経験をしてみたいという思いもあります。そこは、まだ自分の中に残っているんです。

 

——今の暮らしを、楽しいと感じられているんですね。

この仕事に就いて、いろいろな人と出会えました。ようやく、自分の人生や自分の生活を楽しめるようになってきたな、と感じています。ケアの経験もしんどかったこともすべてがつながってこうなったんだな、と、今日お話ししている中でも実感しました。

ただ、楽しいと思う反面、父や母の状況やお金の問題を考えると、「自分だけこんなに楽しんでいいのかな」と、申し訳なさも感じるんです。以前は、父への割り切れない感情に苦しむ後ろめたさでした。でも今は、家族が大変な中で自分だけ身軽になっているような、また違う種類の後ろめたさですね。

 

——今、ご家族のことで不安に感じているのは、どんなことですか。

心配事だらけです。中でも特に心配なことが2つあって、1つは、やっぱりお金のこと。ローンの返済があって、母もパートで収入を賄っている状態なので。もう1つは、母のメンタルが持つのか、という心配です。離れて暮らしていると直接の介護は難しいので、お金の面で支えたり、たまに母の愚痴を聞いたり、できることをしておきたいんです。

 

——今後のご家族の生活について、考えていることはありますか。

理想を言えば、父と母は離れて暮らしたほうがいいと思います。父が福祉施設で暮らせば、母も父につきっきりで面倒をみる生活をやめて、自分の時間を持てるようになります。母のことはもちろん、本当に2人の幸せを考えるなら、そのほうがいい気がします。兄と話しても、同じ結論になりました。

この前も僕が「この状況は、母さんにとってメリットがないと思う」と話したら、母も「確かにそうだと思うけど、答えが見つからない」と。世間体を気にしているのかもしれません。やはり夫婦のことなので、簡単に割り切れることではないのでしょうし、なかなか難しいですね。

 

——以前と比べて、ケアについての考え方に変化はありますか。

変わったと思います。正直に言うと、父のケアや自分の就職活動などが重なって一番大変だった時期は、「父がいなくなれば、この状況も終わるんじゃないか」と考えていました。僕自身、余裕がなくて、早くこの生活が終わってほしいという気持ちが強かったんだと思います。

でも今は、仮に父が亡くなったとしても、それでケアが終わるかというと、きっとそうじゃないと考えるようになりました。直接的なケアは終わっても、そのあとに「もっとこうしてあげればよかった」「あんなに冷たくして申し訳なかった」と、後悔したり葛藤したりしながら生きていく。だから、ケアに終わりはないんだろうな、と思います。

 

——ケアを続けてきて、今実感していることはありますか。

学生時代は本当に余裕がなくて辛かった。それも今振り返ると、その経験があったからこそ、人として少し強くなれたし、いろいろなことができるようになったとも思うんです。

当時は目の前のことで精一杯で、先のことなんて考えられませんでした。でもいろいろなことが、後になってつながっていくんだな、と。辛い時期のひとつひとつが、今の自分に地続きになっている。そう感じられるようになったのが、この2年での一番の変化かもしれません。

 

家を出て働き、自分の暮らしを持つ。そうして生まれた心のゆとりが、父や母と改めて真摯に向き合う気持ちをもたらした。物理的な距離ができても、家族とのつながりが切れることはなかった。

一方で、お金の問題は、根本的にはまだ何も片づいていない。金銭面の困難は、多くのケアラーが直面しながら、表立って語られることが少なく、届く情報も限られている。Aさんを最も苦しめたのは、経済的な問題だった。Aさんは無理に背負い込むのでも、冷たく突き放すのでもなく、自分の人生を歩みながら、家族に手を添え続けている。

 

執筆

花田優子

ワーキングケアラー、元ヤングケアラーというバックグラウンドを持つディレクター・ライター。様々な経験から得た当事者視点を強みとして、時事・社会問題からビジネス、ITまで幅広いテーマのコンテンツを制作。

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