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Top 矢印 記事一覧 矢印 「家族の中だけでケアの役割を完結しよう、という思考から抜け出す必要がある。」学生時代に仲田海人さんがヤングケアラーとして直面した日本の福祉システムが抱える問題とは。

大人でも福祉サービスをコーディネートして組み立てることが難しいなか、ケアラー自身にも大きな負担がかかってしまう実情に疑問を持ち、ケアラーが好きなことに人生の時間を使えるような社会の実現を目指す仲田海人さんが考える、はっきりと「NO」と伝えることの重要さについて。

ーまずは、自己紹介をお願いいたします。

出身は栃木県の那須塩原市で現在29歳です。今は小児発達外来で作業療法士をしています。その前は精神科病院でリハビリの仕事もしていました。また病院の作業療法士としての仕事以外にも、子供から高齢者まで発達障害や知的障害、精神障害などさまざまな障害をもつ人たちが社会生活する上での具体的な援助方法の提案など、地域福祉充実のための相談役・第三者委員や講演会や本の執筆など情報発信をする活動を行っています。

ー現在の活動に繋がった背景をお聞かせくださいますか?

僕が小学校5、6年生の時に、3歳上の姉ちゃんに対し中学校でいじめがありました。事実として『うざい』『くさい』と学校で悪口を言われていたようです。それから姉ちゃんは不登校になりました。さらに学校の外にいても『うざい』『くさい』とまだ言われている妄想、幻聴の症状が発生していて、結果として20歳になって付けられた診断は統合失調症なのですが、当時それに対して僕も家族も病院にかかっていなかったので、姉が精神疾患だったのか、が分かりませんでした。

姉がいじめられていた時、僕は小学生だったので実際の姉の学校生活を見ていたわけではありませんでした。つまり自分では事実を確認できないまま、姉の言うことをそのまま真に受けていたという状態です。不安な事実に対して、姉が自分に話すことで状況が良くなると思い、夜も2、3時まで起きて話を聞き、朝になったら学校にいくという生活を送っていました。小学校から家に帰ると、父と喧嘩して大暴れしている姉との間に入って自分も父から暴力を受けることもありましたが、母と姉を守るために僕が仲裁役になっていました。

いつも夜中、話に来る姉に対して泣きながら『大丈夫』と声をかけていました。そう言うしかありませんでした。子供なので具体的な知識もないですし、相談を聞けばホッとできるとしか思っていませんでした。しかし話を聞いていくほどに姉の妄想は大きくなり不安も解消されず、これは学校の友達の相談に乗るような事とはなにかが違うと感じました。相談に乗ることが実になっていないことが少しづつ分かってきたのです。これはただ不安なだけではないな、と。その後、姉は定時制高校に進んだのですがほとんど行けず精神科に入院しました。

ー学生時代から、いまの社会が抱える福祉の仕組みについての問題意識があったのですね。

私は、子どもの頃に家族から距離を置いても最終的にはどうにもならない現実を目の当たりにし、リアリストな視点を持たざるを得なかったんだと思います。そのため、自分自身に対して打算的なところがありました。小学校は授業を受けていれば赤点を免れていたので、部活動もしていたし、そこそこ遊んでもいました。中学時代は思春期でグレていたので、姉のことにも気を使って遊ぶ時は必ず友達の家でしたし、家出して1週間帰らない時もありました。家ではないどこかを探したかった。家出して行き場がない時は河川敷をずっと歩いていたこともあるし、夜中に飛び出してバイクで走り回っていたこともありました。そんな中、当時の担任の先生が僕の高校進学のことを心配して、内申書に良いからとサマーボランティアという夏休み中の活動を紹介してくれました。なので最初は誰かのために何かしたいという気持ちではなく、高校受験のために役立ちそうだと考え、はじめてボランティアを経験しました。 それまで家庭と学校という2つの社会しか経験していない中で、ボランティアとして高齢者施設にいく日もあれば地域の学童保育の遊び相手になる場合もあり、その中で色々な人と接し、多様な体験をしました。当時、自分の家庭はなんて不幸なんだ、と思っていたのですが、世の中にはいろんな人がいることに気がつきました。僕は子供だったので障害に理解がなかったのですが、認知症のおじいちゃんと将棋をしたらボロ負けして、認知症って何でも分からなくなる訳じゃないんだ、とか気がついたり。ボランティアを通じていろいろな経験をさせていただきました。僕がいま、この地域でヤングケアラーの取り組みができているのは、当時お世話になった社会福祉協議会の方達がまだこの地域にいるからなんです。

ーこの国の福祉の抱える問題とは何なのでしょうか?

僕は子供の頃からケアラーのなかでは踏み込んで発言するタイプなので、意見を言って衝突するし、父や姉ともぶつかっていました。僕が社会人になって姉の親代わりをするようになってから、弟なのにまるで保護者かのように姉ちゃんのことについて言われることに抵抗感がありました。それでも周りの支援者や大人たちから家族の代表として費用面の話を求めたり、姉にきちんと伝えてください、みたいな立ち位置にされて、それは弟としてやりたくないと伝える努力をしてきました。僕が弟として出来ないラインをしっかりと持っていても、それをどう受け止めるかは支援者次第です。なかには当たり前のように治療費を学生時代の僕に見せて「将来、親御さんがなくなったらお姉さんの入院費は弟さんが支払うんだよね?」と言えてしまう人もいて、その感覚には違和感を覚えました。

ケアラー皆さんも悩むことだと思いますが家庭の役割を心配して家を出られないケアラーさんが多いと思います。でも僕は大学に行く選択をした時も家を出る、とはっきり伝えました。出るけども、すぐに家に戻れる距離でいるために埼玉県の大学に入りました。それによって僕の心理的な安定が保たれたし、僕がやりたい事や大学時代特有の学びと経験をする機会が作れました。家庭の役割だけに縛られないことはとても大事な経験だと思います。

大学生になってからグループホームという家庭から出て生活する仕組みの存在を知りました。この地域だけで生活していたら、まずサービスとしてないから無理だと支援者や大人は言うけれども、埼玉や東京に出てみれば、まるで違う国かのような福祉サービスの体系が整えられています。その感覚は、一度その地域からでた人でしか分からないですよね。

僕の住む那須塩原市は地域の人口は11万人いるのですが、それに対してグループホームには50人分程と少しの定員しかいないんですよ。さらにその定員はすでに埋まっています。これは異常な状況です。統合失調症ひとつとっても100人に1人いると言われているのに、その数を満たすだけの余地すらありません。つまり家族でケアを全て抱えるしかなく、それによりケアラー自身の問題が起きてきます。特に、ここ最近はケアラーが抱え込むことが原因で起きた事件がいまたくさん起きています。それはただ異常な人が異常な行動を起こしたとか、障害が悪いって話じゃなくて、地域の課題としてきちんと向き合えてないから起こっている問題ですよね。しっかりと市を運営している人たちに、事実として課題があることを伝えておかないと、行政は動かない。僕はそういったことを小さな範囲でやっています。

ー学校にも相談できるような大人たちがいるはずですが、仲田さんは相談していましたか?

僕が高校生の時、ちょうどスマートフォンが出た時期だったので『福祉』とかググって調べていました。もちろん担任の先生やスクールカウンセラー、姉の主治医、そしてソーシャルワーカーにも相談したのですが、みんな福祉サービスについて知らないし「できない」とはっきり言われていました。相談した大人たちは打開策を持っていませんでした。そこにはこの地域の課題もあるかもしれないけれど、経験や知識を含めた上でも、我が家の課題に対する支援者としてのアドバイスを大人たちが持ち合わせていなかったのが現実としてありました。お医者さんですら、自宅でケアするか病院に入院させるかのどちらかを選びなさいという考え方しか提示しませんでした。 当時、きょうだい会(ピアサポート)にも話を聞いてもらってホッとすることもそうですが、僕はただ我が家の状況をどうにかして欲しかった。そうでないと僕が将来やりたいことができない問題に直面していたので、聞いてほしいのではなくてどうにかしてほしかった。こういうニーズを汲み取った支援体制は日本全国でまだまだ作られていないと思います。なので僕のようにSOSを出せる子供でも、ただ話を聞くだけで終わってしまうというのは、ニーズの本質を見極められず、ただのたらい回しになっているだけです。

ー確かに、子供の時に自分で考える必要があるのは、とても難しいですよね。

そうですね。たとえ当時知っていたとしても、組み立てられなかったと思います。福祉サービスは大人でもどうコーディネートして組み立てるのかが難しいですから。本来、ケアラー自身が福祉サービスについて学びを深める必要は必ずしもないと私は思います。あくまでも福祉サービスはケアが必要な本人が簡単に使えるものであるべきですが、そのために必要な手続きや要求される知識量が多すぎます。そこを支援者がきちっと動いていれば、家族がそこまで学ぶ必要はないですよね。ヤングケアラーは子供らしく遊び、アニメでも漫画でも、自分の好きな分野の知識を深めてほしいと僕は思います。自分で全て背負ってきたケアラーが沢山いるので、背負ってきて学んだ経験をもとに福祉の仕事をしたり経験を誇りに思うケアラーも沢山いるとは思うのですが、ただ一方で、距離をとって自分らしい生活をしているケアラーがいることも事実であり、僕は後者の部分も多く持ち合わせていました。その選択肢を残すかどうかは、障害を抱えるご本人を取り巻く支援者に求められるものです。そのためケアラーが専門家並みに学びを深めるようにと強く推すことは、僕は好ましくないと思います。ここまでなら学びたいなと自分で判断できた時に、みんなが応援できる地域社会だったらいいけど、「やりたい」の一言で、みんなが食らいつくように繋ぎ止めようとしますから、逆にどんどん背負わせれてしまうのがいまの福祉の状況です。

ーケアのバランスについて、どのようにお考えですか?

バランスっていうと僕ら支援者も、例えば10のものを7(親):3(きょうだい)とかって綺麗に割ろうとするんですけど、そう単純には割り切れないですよね。しかも状況が変化する時にきちんと話をして、その役割を切り分けられると思っているんですけど、意外とそんな簡単なものではないと思います。

たとえば大学で家を出ていた人が地元に戻ろうかどうしようかと悩んでいる時に、親は当たり前のように親としての立場から実家に戻ってこいよ、という場合もあって対等なテーブルで家族全体で話せるかどうかは疑問です。子供は親に対して弱い立場であり意見しにくいと思います。そのなかで勇気を持ってNOとはっきり言うことも重要かと思います。ケアの役割を調整することは子供にとっては、中・高と3年ごとの学校生活の中で自分の境遇が変わる中で結構な労力になります。しかも家庭内の閉鎖された環境で話すと言うのは結構センシティブで難しいことなのかなと、自分の経験からも思います。なので全体を見て自分の役割を考えて気を遣ってしまうことがケアラーの思考だと思うのですが、それでも自分はこうしたいんだという気持ちありきで物事を考えることが重要かと思います。

そもそも家族のなかだけで役割を完結しよう、という思考から抜け出す必要があります(ジェノグラムと言います)。その中に福祉サービスなどの支援が入ってもいいわけですから。今後は、介護の社会化と言われる、家族内での会話から専門家や支援者の視点を巻き込んでいくことが必要です(エコマップと言います)。そうしないとケアラーに新しくやりたい事ができた時にNOと言えないですよね。やりたい事に大きさは関係なくて、週末にデートしたい、アルバイトしてお小遣いが欲しい、でもケアの方が重要だからと諦めてしまうケアラーはたくさんいると思いますが、その子たちが何かをやりたいと思った瞬間に行動に移せる状況でないといけない。そうでないと一生ケアから抜け出せなくなってしまいます。

僕自身は高校の時から自律神経失調症で、大学時代は不眠症で精神科にかかったこともあります。理由は姉のことだけでなく家庭内の問題から僕が頑張らなくては、と過剰な責任を感じてしまって。大学時代は勉強に力を入れすぎてしまっていたし、仕事として学ぼうともしていましたが、やり過ぎてしまうことや、自分が壊れてしまうまでやってしまったことってある意味でその小児逆境体験が引き起こしている行動なんですよ。やりたくないと言っているつもりでも、伝わっていなかったり無理してしまうことがありますので、子供だけでなく大人にとっても遊ぶことは大事だと思います。

なので家族内で役割を全て決めないと言う事がポイントなのじゃないでしょうか。親はギリギリまで自分が頑張ると思っているのですが、自分が頑張る、がどんどん拡大されていき子どもも一緒に頑張るになってしまうので、そこは切り分けて考えないと子供の将来や人生の選択肢がどんどん狭まってしまうと思います。親も悩ましいところだと思いますが。僕の両親みたいに、夫婦でまず話し合うと言う土台が出来ていない家庭からすると、家族の中だけで役割を分けるのは本当に難しいですね。

ー仲田さんの今後の展望をお聞かせください。

来年度からフリーランスの作業療法士として活動していきます。フリーランスは良くも悪くも自分の責任だけれども、ケアラーとしては動きやすいですよね。遊ぶ時間も作りやすいし、会社にいると会社組織の役割を求められてしまうのでケアのためにすぐに休むことが難しかったりするのでケアラーとしては動きにくい部分があります。

働き方には色々あると思いますが、ケアラー先進国のイギリスでは柔軟な働き方や休暇など雇用レベルで違います。今後日本が進めるべきは雇用のベクトルで、国レベルで法改正をしていく事だと思います。仕事を休みやすくしたり、子供の育児休暇を男性が取れることもそうだし、ケアラーがケアラーとしての休暇を有給とは別の時間で保証されるような仕組みになるようこれからもアプローチしていきます。

僕は人生を楽しみながら仕事をしたいので、釣りで燻製を作ってみんなに食べてもらうのが趣味でそれで商売してもいいし、パソコンも好きなのでたまに趣味の釣りの動画編集をしたりするのでWEB系の仕事も面白そうだなと思います。作業療法も、いろんなことを広く浅くやっていく中で取捨選択していくのが作業療法の強みなので、そこから来ているのかもしれません。木工や畑もやっていて来年度の目標は金属溶接をすることです。デザイン的にもかっこいいので、それで家具や畑で使えるものを作りたいです。バイクや車をいじったりも好きです。自分で調べながら模索してものづくりすることが好きなので、フリーになって、趣味の延長が仕事になったり、誰かの役にたてる時間が増えればいいなと思っています。

プロフィール

仲田海人
1993年栃木県生まれ。作業療法士。とちぎきょうだい会代表。栃木県那須塩原市ヤングケアラー協議会立ち上げメンバー。栃木県ケアラー支援に関する有識者等意見交換会委員。埼玉県立大学保健医療福祉学部作業療法学科卒業。小学校高学年からきょうだいヤングケアラーとなる。そのことがきっかけで保健医療福祉の道に進む。精神科病院での作業療法士を経て現在は小児〜高齢者の作業療法士としてフリーランスとして活動。その他、グループホームの相談役・第三者委員など地域福祉充実のために活動。栃木きょうだい会代表として集いと学習会を開催、家族支援に関する情報発信と講演活動をしている。2021年『ヤングで終わらないヤングケアラー―きょうだいヤングケアラーのライフステージと葛藤 』(クリエイツかもがわ)を執筆

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