【#2】学校に行けない日々とケアの重圧――そらさんが「きょうだい児」を知るまで
2026.03.23
#1 『何重ものケアの真ん中に、小学生の私がいた』のあらすじ
先天性の難病をもつ弟の入退院が続き、母が付き添いや看病、介護に追われ、父や祖母とのいさかいが増えていった。そんな中、未就学期からそらさんは弟の食事や導尿などのケア、家族のお弁当の買い出し、けんかの仲裁役を担うように。弟への愛情と家族から構ってもらえない寂しさの間で揺れながら、自分の気持ちを抑えこみ、諦めることを覚えていった。
(#1はこちら→https://youngcarer.or.jp/ycmedia/interview/2418/)
――中学生の頃を振り返って、印象深かったのはどんな場面ですか。
私が中学1、2年生のときに薬が合わなくて弟の発語が減ったり、命の危険がある状態になったこともありました。ただ、中学時代は弟のケアより、「母のケアをどうするか」をいつも考えていました。弟のケアで心身ともに母がいっぱいいっぱいになってしまうので、機嫌をうかがったり、話を聞いたり、なるべく負担を増やさないように気を遣っていました。
――中学時代、弟さんへの思いに変化はありましたか。
弟と特に何かあったわけではなく、弟を嫌いとまではいかないけど、少しネガティブな認識に変わってしまった時期がありました。最近、母にその頃の私のことを聞いてみたら、「言葉には出さなかったけど、弟とは一緒に遊びたくないような空気を出していた」と言っていました。
弟はずっと知能が成長しないままだから、いないないばあや、鈴の遊びとかがずっと好きだったけど、当時の私は成長するにつれて、そういう遊びはつまらなくなっていました。でも、周りの友達は、弟や妹と一緒に遊んで仲良くしてる。一方で、私は自分自身が楽しいと思う遊びを弟とできない。友達が妬ましいというか、思いどおりのきょうだい関係じゃないと感じるようになってから、弟を避けるようになっていきました。
弟が母にわがままを言ったとき、私が「わがまま言い過ぎだよ」とか口に出すようになったんです。、すると、私が弟にご飯をあげようとしたとき、弟が食べてくれなくなった。弟なりの抵抗だったのかもしれません。「弟は人を選ぶんだ」って感じ始めてから、余計嫌な気持ちが大きくなって。私が中学生のときは弟の面倒はほぼ見ていないっていう感じです。
――弟さんの直接的なケアは、ほとんどお母さんが担っていたんですか。
そうですね。母は母で、私が中学1、2年生のときぐらいからだんだん弟を祖母に預ける頻度が増えていきました。預けていない間はなんとか面倒を見ているけど、預けた途端にバタって倒れるようになって。それでも祖母は弟の面倒を見るのを「なんで私がやらなきゃいけないんだ」って文句を言っていたし、母は体が追いつかないって嘆いていました。
当時弟は特別支援学校に通学していたんですが、入退院が多くてそれだけでスケジュールがいっぱい。入院していないときは、通学すると疲れて帰ってきて、夜ご飯も食べずに寝てしまう。お腹が空いて夜中の2~3時に起きてくるのでご飯をあげると、次起きるのが朝の8時半とかだから、もう学校には間に合わない。母は、そんな中で弟を学校に行かせる意味があるのかなって思っていたと話していました。ただ、通学にせず訪問教育にしたら、弟が社会と触れ合う機会がなくなって家にこもりっぱなしになる。それはそれでしんどいから訪問教育にはしなかったみたいです。
弟の生活が昼夜逆転しているから、母の生活も昼夜逆転して、気づいたら母が深夜までゲームをしているんです。起きる時間が遅いから夜寝られなくなって、夜寝てないから朝起きられないっていう悪循環のループにはまって、傍から見たらサボっているようにも見えました。実際はたぶん精神面でも体調面でもリズムが崩れて眠れなかったんだと思います。私はそれをなんとなくわかっていたから、母を責めはしなかったけど、内心「早く寝てほしい、明日もちゃんと動いてほしい」と思っていました。また、母の具合が悪くなって家事ができないのを助けるのも大きな負担でした。
――幼い頃から自分のことを見てほしいのに、求めているほどには見てもらえないという気持ちがある中で、逆にお母さんのことを心配していろいろやってあげていたんですね。そのような家族の状況がある中で、どんな中学生活を送っていましたか。
中学2年生のときまでは普通に通っていましたが、家族の問題とは別の自分自身のことで、中学3年生の冬に不登校になってしまいました。
家族の関連で言えば、小学校のときに弟のことを作文に書いたので、弟が障がい児だというのが、ある程度周囲に知られている状況でした。それを理由に陰口を言ってくる子も中にはいました。
外出すると、小さい子どもがちらっと振り返って、弟のことを見てきたりすることもある。陰口を言う子はそういう子どもと同じ感じだったのかな。でも、ただの陰口ではなくて、もっと具体的に「骸骨みたい」と言われたときは、本当にムカつきました。
――そういうことを話せるような先生や友達はいましたか。
仲がいい友達ひとりと、当時の彼氏ぐらいしかいませんでした。先生には、小学校のときは「両親に提出物を渡してね」って言われて、「今弟が入院して付き添っているんで、遅れます」とか説明をしていました。
中学に入ってからは、生徒が全員先生と交換ノートをすることになって、「弟が入院した」と書いたら、中学1、2年の担任の先生が、生徒が少ない掃除の時間に「大丈夫?」とか聞いてくれました。「夜ご飯どうしてるの?」って聞かれたときは、「親は適当にコンビニで買って食べてますよ」って返事したり。あとは、中学からレンジで温めて食べる宅配のお弁当を頼んでいたので、それを食べていると話した程度でした
そもそも学校生活について、小学校卒業の時点で、「こんな意味のない時間が中学校であと3年もあるんだ」って思っていたから。中学3年生の進路選択のときも、「高校の普通科でこのまま3年間なんとなく過ごすのはしんどいな」と思っていたら、不登校になってしまいました。

――不登校になった中で、お母さんのケアはどうしていましたか。
自分が不登校になったとき、現実逃避じゃないけど、母のように遅く起きて、朝みんなが登校している時間にわざと起きないようにしていました。母の逃げたい気持ちはわかるし、かといって、立場的に逃げていいよとも言えない。
父も祖母も頑張って努力すればいろいろできちゃう優秀な人。私自身は不器用なほうで、ものすごく頑張らないと何もできない人間だから、「努力したらできちゃう人間は、できない人の気持ちはわからないのかな」って強く思っていました。それで母の気持ちがわかったし、味方してあげられるのはたぶん自分しかいないんだろうなって。誰かひとりでも味方してあげないと、母は死んでしまいそうな雰囲気だったし。
母は誰にも何も言わず、スマホも持たずに家出することが何度もありました。母の体調が悪くて寝込んでいるときも、空気がドーンと沈んでいて、本当にどこかへ行ってしまいそうな雰囲気で心配でした。あと一押し、誰かが変な方向に押したら、本当に変な方向に行ってしまう。母自身も弟や私とずっと一緒にいたいから、なんとか踏ん張ってくれているけど、この一押しを誰かがしてしまったら、たぶん終わるって。そうならないように、ずっとそれをひとりで頑張って食い止めていました。
――そういうとき、お父さんやおばあさんはどうしていたのでしょうか。
父と母が大きなけんかをしたタイミングでそうなるから、母は実家に行ってひたすら寝ていることもありました。。
そのとき、私が祖母に母の安否確認の電話をすることもあったのですが、「母には何も言わなくていい。ただ泊めてくれればいい。寝かせてやってくれ」と、できるだけ具体的に指示を出していました。「帰りたくないって言ったら無理に帰さなくていいから、ただいさせてあげて。母は寝るのが好きなんで、寝れば少しは落ち着くから」って。
最近、母の体調は回復してきましたが一番メンタルの調子が良くなかったときのことは今も母には聞けません。「あのとき死にたがってたよね」とか、分かってしまうのも怖いですし。
――「きょうだい児」という言葉を知ったのは中学時代だったそうですが、そのきっかけを教えてください。
中学2年生のときに、「障がい児 両親 けんか」というキーワードでネット検索しているうちに、「きょうだい児」という言葉を偶然見つけました。きょうだい児を支援する団体のサイトで、「きょうだい同士でけんかすることもある」「両親に気を遣うこともある」みたいな内容が載っていたんですけど、「自分ってきょうだい児って言うんだ。我慢しなきゃいけない思いを持ってるのは、自分だけじゃなかったんだ」と思えたのは大きかったです。でも、そこから先はどうすればいいかわからなくて何もできないから、そのときは状況が変わることはありませんでした。
中学3年生のときにSNSのアカウントを作って、そこからいろいろなきょうだい児関連のアカウントをフォローして、情報を調べるようになりました。
その後そらさんがどのような高校生活を送り、支援につながったのか。そして、自身の経験をどんなふうに受け止めて前に進むことができたのか。(#3に続く)
(プロフィール)
そら
ヤングケアラー。重度の障がいのある弟のケアをしている。将来はケアラー支援に携わる仕事をしたいと考えており、社会福祉士の取得を目指している。ヤングケアラー協会が主催するイベントにも参加している。
執筆
花田優子
ビジネスケアラー、元ヤングケアラーというバックグラウンドを持つディレクター・ライター。様々な経験から得た当事者視点を強みとして、時事・社会問題からビジネス、ITまで幅広いテーマのコンテンツを制作。




