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妊婦とエンディングノート 障害がある妊婦の記録

  • 2024年4月5日

「ご無沙汰しています、実は今、妊娠6か月になりました。予定日は2月です。ただ、もしかしたら今回の出産で私が亡くなることもあるみたいなんです。一度、話を聞いてもらえませんか」

NHKで東京パラリンピックのリポーターを務めていた、帯広市の千葉絵里菜さん(29歳)から私(記者)に来たメッセージだ。脳性まひの障害がある千葉さんは“出産に命の危険が伴う”と医師に告げられながらも、妊娠し、子どもを産むと決意していた。無事に子どもを産めるのか、子育てはできるのか、千葉さんは悩みも不安も抱えながら妊娠期間を過ごしていた。
子どもを産み、育てること。その本質を彼女の出産を通してかいま見ることができるのではないか。私たちは彼女の出産を記録し始めた。
(釧路局記者・島中俊輔)

北海道道「妊婦とエンディングノート」
初回放送日 2024年4月5日(金)午後7時30分~
NHKプラスで全国からご覧になれます
こちらの番組ページからご覧ください

“いろんなリスクがある中で、本当に産むんですか”

冒頭の連絡が私(記者)に来たのは去年10月。もともと東京のスポーツニュース部でパラリンピックの取材を担当していた私は、リポーターだった千葉さんとボッチャやゴールボールなど、パラスポーツの現場で何度も仕事をともにしていた。
ただ、東京パラリンピックが終わって以降、彼女はNHKを離れ、私は釧路局に転勤。それ以降、なかなか連絡を取る機会もなく、一度、本当に偶然、ばんえい競馬場で会った時以来の連絡だった。

リポーターとしてパラスポーツを取材・2017年

結婚したことは聞いていたが、この連絡をもらった時は複雑な心境になった。妊娠を祝いたい気持ちと同時に、命のリスクがあるという不穏な話に心がざわついた。すぐに帯広にある千葉さんの自宅を訪ねて話を聞いた。およそ2年ぶりに会う千葉さんはいつもの電動車いすに乗って、いつもの笑顔で迎えてくれた。

「去年3月、子宮外妊娠して左の卵管をとることになったんです。ただその卵管を摘出する手術の時に腹膜と腸などがくっついてしまっている“癒着”があることがわかりました。出産の時にその癒着がプチンって破れたら大量出血する可能性があるから、リスクの高い出産になると地元の病院で医師に言われたんです。“いろんなリスクがある中で産むんですか”という感じで。そう言われた時の感覚は今でも残っています」

千葉さんはエンディングノートも書き始めていた。葬儀の形式や延命治療の有無、ペットをどうするかなどなど…。信頼しているヘルパーさんに代筆してもらいながら、少しずつみずからの思いを残したいと書き進めていた。

「自分がいなくなったあとを経験したことがないのでわからないんですけど、もし、私がいなくなったら、自分のこうしてほしいという思いが伝えられなくなるって思ったので。子どもにも生きた証を残したいなと」

この日から私たちは彼女の出産を記録し始めた。

命のリスクがあっても私は産みたい

まず最初に聞きたかったことがあった。命のリスクがあるのになぜそこまで子どもを産みたかったのか、だ。千葉さんに聞くと、これまで“普通”に生きていたからこそ、障害があっても、命の危険があっても、子どもを持つことへの憧れがあったと言う。

「子どもはずっと欲しかったんです。小学校から高校までずっと地域で“普通”に暮らしてきて、妊娠、出産、子育てというのは、私からしたら経験したいものでした」

千葉さんは生後2か月で「胆道閉鎖症」という1万人に1人の命に関わる難病が発覚。母親の肝臓を移植してもらう大手術を行って命を取り留めた。体の中の“癒着”は、この手術の時できたものだという。さらに脳に傷があることがわかり、車いすでの生活となった。

障害があっても地域に溶け込みつつ暮らさせてあげたいという両親の願いから、“普通”の子どもと同じように、地元の小学校、中学校、高校を卒業。札幌の大学にも進学した。当時、車いすの子どもが地域の学校で学ぶことはあまり例がなく、千葉さんが学校を卒業するたびに地元の新聞などが記事にしてくれたという。しかし千葉さんはそのことに複雑な気持ちも抱いていた。

「なぜそんなに障害者を強調しなくちゃいけないんだろうと思っていたんです。よく障害は個性だとか言われると思うけど、でもその人にとっては当たり前、“普通”だと思うんです。眼鏡をかけてるだけの人たちがたくさんいっぱいいるみたいな。“普通”という言い方はあまりしたくないですけど、“普通”に結婚して子どもを産んで育てたいという憧れがあったんですよね」

“普通”に結婚して、子どもを産んで、育てる

千葉さんも言うように、私もあまり“普通”という言葉を使いたくはない。ただあえて使うと、千葉さんの体は“普通”とは少し違う。脳性まひのため、手足が思うように動かない。自分の意思とは関係なく手足がビクッと勝手に動いてしまう「不随意運動」もある。このため、手足の筋肉の緊張を抑えるために筋弛緩剤や眠れる薬を毎日飲んでいるが、妊娠がわかってからは胎児への影響を心配して薬を飲むのをやめた。ただ、そこでも“普通”の妊婦とは違う苦しみがあった。

「妊娠を機に薬をやめたら、手が勝手に動いて飲み物をこぼしたり、人の顔を蹴ったりとかが起きてしまった。それが本当にずっと辛かったんですよね。自分の中に自分じゃない“魔物”が出てきたみたいに感じました」

その後、医師と相談して胎児への影響は少ないだろうということで再び薬を飲み始めたという。
“普通”の妊婦とは違って、千葉さんは24時間介助が必要な障害者だ。トイレに行くにも、ベッドから車いすに移るにも、ヘルパーの介助なしでは生活が成り立たない。子育ても1人でできることとできないことはあるだろう。その現実を千葉さんはもちろん受け止めて妊娠、出産、子育てをしていきたいと考えている。

「障害がある人が家庭を持って、子どもを産んで、育てていく。できないということじゃなくて、そういうのが当たり前になるためにも、私の出産のことが少しでも何かヒントというか、役に立てたらなと思うんです」

“障害者が子どもを産んでどうするの?”

「共生社会」という言葉がある。障害のあるなし、年齢や性別に関わらず、誰しもが暮らしやすい社会を指す言葉だ。東京パラリンピックが開催された時は、私を含めたメディア、そして千葉さんもNHKのリポーターとして、“共生社会の実現”という錦の御旗を振って、スポーツだけでない大会の価値を伝えてきた。
ただ正直、“共生社会の実現”はまだ道半ばだ。千葉さんも“障害者”を強く意識させられたことがあったという。
SNSで流れてきた「“旧優生保護法”によって強制的に子宮を摘出された脳性まひの女性」のニュース。戦後まもない1948年から1996年まで続いた旧優生保護法のもとでは、障害などを理由に不妊手術を強制されたとされていて、当事者が国に賠償を求める裁判が起こされている。そのニュースに寄せられたコメントは“脳性まひの人は子どもを産むべきではない”という考えで書かれたものが散見された。

ーーーSNSのコメント欄より
「子どもが産まれたら、誰が面倒見ますか」
「脳性まひで子どもを産んでどうするの」

「やっぱり自分って障害者なんだなと。あんなに自分は区別をつけたくないと思っていたのに、障害者だと思われることが嫌だったのに、自分は障害者なんだ、障害者として生きていかなきゃならないんだと感じたんですよね。そう感じた時に、今までNHKのリポーターとして“共生社会”とかいろんなことを言ってきたけど、自分の心の奥の中では、自分は障害者だって、障害があるんだって強く意識させられる」

自分の子どもはヤングケアラーなのか?

千葉さんが妊娠中に気にしていたことがもう1つある。「ヤングケアラー」という言葉だ。簡単に言えば、家族の介護や世話などをしている子どもたち。過度な介護や世話で学校に行けなくなったり、貧困の原因になったりと問題があるという、ネガティブな言葉だ。
もし千葉さんが子どもを産んで、子どもが“ママの手伝い、介助をしたい”と言った時、それは周囲から見たら「ヤングケアラー」なのか。

「自分の子供が生まれて、自分の介助すべてを子どもにお願いしようとは思ってないし、極力はさせたくないっていう思いもあります。でも、もし子どもが“ママのお手伝いをしたいな”と言ってくれれば尊重してやらせてあげたいという気持ちも自分の中であります。でも、それが周りから見てヤングケアラーに見えちゃったりとかしたら、すごくショックなんです」

環境が子どもの意思を形づくるかもしれない。だけど、自分は子どもの意思を尊重したい。まずは無事に出産することが第一ではあるが、千葉さんの言葉に考えさせられる出来事だった。

覚悟と葛藤を抱えながら迎えた出産

年が明けて、千葉さんは帯広を離れ、札幌の大学病院へ入院していた。整った医療体制のもとで出産までの期間を過ごすためだ。病院ではおむつ替えをするなど出産後の子育ての練習も行った。

「実際にやってみたら、どれだけ自分が赤ちゃんに対してできることがあるのか思い知らされた部分があった。心のコントロールをどうすればいいんだろうとか。こういう時はこうしようとか思えるようにしていけたらなと思っています」

2月14日。千葉さんが分娩室に入った。万が一の事態に備えて、10人を超える医療スタッフが待機した。私たちは分娩室に入ることができないため、外から祈ることしかできない。

そして午後5時22分。2552グラムの女の子が無事、産まれた。その後の検査で、母子ともに異常はなかった。

名前は茉里(まつり)。毎日がお祭りのようなにぎやかな日になってほしい。そう願って名付けられた名前だ。

この体と付き合っていく 悲しい顔はしたくない

3月、出産からおよそ1か月後に千葉さんの帯広の自宅を訪ねた。
ミルクを飲ませる時には茉里ちゃんをひざの上にのせてもらう。ベッドに寝かせたままおむつを替えるのは難しいため、お願いする。千葉さんは家族やヘルパーの力を借りながら、子育てをスタートさせていた。ただとっさに動くヘルパーや夫の姿を見るとき、思うように動かない体にやるせない気持ちになることもあると言う。

それでも千葉さんは母になった。
できること、できないことを模索しながらの子育てはこれから始まる。

「悲しんでいたからといって、私はこの体とずっと付き合っていかなきゃいけない。茉里にとってはこの体のママが当たり前のママになっていくと思うから、娘の前で悲しい顔ばっかりしたくないなと思います」

取材後記

子どもを産み、育てることの本質を見たい。その動機で千葉さんに協力してもらいながら、今回の取材はスタートした。障害のあるなしに関わらず、子どもを産むこと、そして育てることは命をかけてすることであるし、悩みを抱えながら行っていくことだと思ったからだ。
番組では私たち取材クルーがカメラを回したシーンもあるが、その多くは千葉さん自身が360度撮影できるカメラを使って記録したものだ。
これは取材当初、私たちがカメラを向けて、千葉さんが障害や悩みについて話す映像を見返していると「健常者が障害者に取材している」という壁を強く感じたからだ。千葉さんはNHKのリポーターとしても活動していたことから“知ってもらいたい”という感情から健常者に対して説明をするような映像になっていると感じてしまった。それが24時間カメラを向けて密着するようなテレビで見られる、ある種の「壁」を作ってしまっていると思ったのだ。
今回、千葉さんはカメラに向けてさまざまな不安、葛藤を記録してくれていた。出産と子育ては十人十色で、本質というのはないのかもしれない。ただすべての出産と子育ては「大変で、きつくて、尊いことだ」と感じた記録だった。

北海道道「妊婦とエンディングノート」
 初回放送日 2024年4月5日(金)午後7時30分~
鈴井貴之(MC) 明日花(語り・俳優)
※NHKプラスの見逃し配信あり こちらの番組ページからご覧ください

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