【#2】誰にも言えない葛藤を、ひとりで抱え込んで——家族を支える中、複雑な思いで揺れたAさん
2026.09.01
父だけでなく母のケアも担ううちに、Aさんの胸中には言葉では表現できない複雑な感情が芽生えていった。病気のせいだとわかっていても父の心ない言葉に傷つき、心身ともに疲弊していく母を目の当たりにして、日に日に強まる憂うつな気持ち。誰にも打ち明けられない葛藤を、Aさんは長い間ひとりで抱えていたが……。
※この記事は2024年3月に取材した内容をもとに構成しています。
——お父さんのケアをする中で、気持ちの変化はありましたか。
父が倒れた当初は、誰かが父のケアをしないと家族が立ち行かなくなるので、義務感でがむしゃらにやっていたんです。でも毎日ケアを続けるうちに、父に対して複雑な感情を抱くようになって、それがだんだん大きくなっていきました。
今は、父とはほとんど話していません。失語症で会話が難しいというのもありますが、それ以前に僕自身、気持ちの整理がつかないんです。会話もままならない父を、毎日気にかけて支えなければならない。同時に、父に対して割り切れない感情がある。そうした思いの板挟みになって本当にしんどいです。
——具体的には、どんな時にそうした感情を抱くのでしょうか。
父は認知機能が低下しているので、他人の気持ちを汲んだ言い方をすることが困難になっています。ある時、父に「お前は何もしてくれないじゃないか」と言われました。僕はいろいろ頑張っているのにと思い、かなりショックを受けました。
病気のせいだと頭ではわかっていますが、父にそう言われると、悲しさとやりきれなさが混じったような気持ちになります。そういうことが積み重なって、父にポジティブな感情を抱けなくなりました。
そばで見ている母も、父との関わりの中で気持ちの余裕を失っている。家族みんながどこかピリピリしていました。父のケアそのものより、そうやって家族全員が身も心もすり減っていくのを見るのが一番こたえたかもしれません。
父にはこれまで金銭面で特に不自由なく育ててもらって、もちろん感謝しています。恵まれていたと思うし、ありがたいことです。だからこそ、父には恩を返したい気持ちもあります。その一方で、こうしたネガティブな感情を抱いてしまう自分に、戸惑いもあるんです。

——Aさんにとって、もともとお父さんはどんな存在だったんですか。
小さい頃は、仕事に打ち込む父を誇らしく思った時期もありました。父のような専門職に就くのが夢で、憧れの気持ちも抱いていたんです。
ただ、過去のことを振り返っても、父も含めて家族全員で旅行に行ったとか、何かをした記憶がほとんどありません。父は金銭面では大黒柱になってくれましたが、仕事ばかりで、家族で出かけるような時間は少なかったんです。父が元気だった頃に家族としての思い出や愛情がきちんとあったと思えるなら、今こんな複雑な気持ちにはならなかったのかもしれません。
——さらに日々のケアをすることで、お父さんへのわだかまりが深まっていったのでしょうか。
毎日顔を突き合わせてケアすることで、父の見たくなかった一面がはっきり見えるようになりました。脳出血の影響もあるので仕方ないのでしょうが、相手の都合や気持ちをまったく考えないような言動が目立ち始めました。あれをしてくれ、これをしてくれという要求ばかりで、支える僕や母への思いやりは感じられません。「父と家族を支えるために母も僕も頑張っているんだ」と話しても、父にはわかってもらえない。「なんで俺が悪いんだ」と言われて、結局こちらが泣く泣く我慢することになる。
そうしたことが積み重なって、小さい頃に抱いていた父へのイメージが変わってしまいました。
——そうした感情を抱くこと自体に、辛さもあったのでは。
極端なことを言えば、ローンも金銭的な問題も倒れたことも、元をたどれば父が原因だと思ってしまうことがあります。僕がここまで支える必要はないのでは、とすら思ってしまう時もあります。でも、そういう自分にも嫌気が差す。その悪循環で余計やりきれなくなるんです。
身近な家族に、こんな感情を抱いていいのか。そういう後ろめたさが、常につきまといます。
——Aさんの胸の中の葛藤を、誰かに相談しましたか。
ほとんどできませんでした。アルバイトの先輩に「父の介護をしていて大変」と軽く話したことはありますが、「何とかなるよ」と返されて、それで終わり。相手は詳しい事情を知らないから、話してもわからないよな、と。それ以上は言えませんでした。
学校の友人にもほとんど話していません。たまたま障害に詳しい先生が身近にいて、頼れるかなと思ったこともあったんですが、いざとなるとほとんど話せなかった。結局、ひとりで抱え込むしかなかったんです。
——ここまで込み入った話を誰かに話すのは、確かにためらってしまいそうですね。
そうですね。そもそも福祉のサービスをどこでどう受けられるのか、よく知りませんでした。制度は複雑だし、調べるだけでも一苦労です。誰に聞けばいいのかもわからない。僕はまだ学生で周りに同じ立場の人がいるわけでもないし、他人にこういうプライベートな話を打ち明けていいのかもわからなかった。
だから、ずっと自分ひとりで抱えて、精神的にかなり行き詰まっていました。出口が見えないまま、ただ目の前のことをこなす毎日で、気持ちを吐き出す場所も相談できる相手もどこにもなかったんです。
——そんな中で、ようやく相談できる場所が見つかったんですね。
まったく別の用事で連絡を取ったNPOが、相談窓口になってくれたんです。話の流れで家庭の状況を明かしたら、「その状況も踏まえて相談に乗ります」と言っていただけて、今も折々で相談しています。
相談員の方が福祉に詳しくて、家計のことや父が使える福祉サービスのこと、僕の愚痴まで聞いてもらえました。外部の人にここまで詳しく話せたのは初めてです。「こういう話もしていいんだ」と、その時初めて思えました。ただ、話していいといっても、場所と人は選びますね。

——一番困っていたことに、支援は届きましたか。
そこが難しいところで。一番困っているのは、金銭的なことです。家族が生活していけるかどうかという切実な問題です。でも相談するとたいがい地域包括支援センターを案内されて、そこではどうしても福祉サービスの話が中心になる。父にどんな介護サービスをつけるか、就労先をどうするか、という方向に話が向かってしまう。
もちろんそれも大事なんですが、僕たちが今一番助けてほしいのは、そこじゃない。まずは家計を回して、家族の生活を守ることが最優先なんです。金銭面の話をしたら「それは専門外です」と言われたこともあった。危機的な状況なのに、本当に必要としている支援にはなかなかたどり着けない。支援がないわけじゃないのに、こちらが本当に困っている経済的なところには手が届かない。誰かが代わりにローンの返済をしてくれるわけでもない。
しかも、ちょうど僕自身が就職活動の最中で、支援を提案される時期としても噛み合いませんでした。結局、ケアをしている側が求めているものと、ケアされる人や支援者、世間が思う「必要な支援」との間に、認識のズレがある。支援してもらえるのはありがたいけれど、こちらが求めるタイミングとのズレもある。そのもどかしさは、ずっと感じています。
——そうした苦労を重ねて、ご自身の内面が変化したそうですね。
辛い経験をしたことが、自分に自信を持つきっかけになりました。以前の僕は消極的で人付き合いも苦手。自分に自信がなくて、常に緊張しているような性格でした。でも、今は打たれ強くなったと実感しています。
家にいたくなくて外に出るようになったら、積極性も出てきた。就職試験の面接でも、以前なら緊張して話せなかったのに、まったく緊張しなかったんです。
——将来については、どんな考えを持っていますか。
いずれ結婚したい、子どももという気持ちがあるんですが、今の状態だと難しいと思います。相手に父のケアの負担をかけられないし、ローンの返済のこともある。相手のご家族がどう思うかもわからない。そういう制約が出てきてしまう。父ももう若くはないけど現役世代なので、ケアがこの先長く続く可能性もあります。
自分のことは自分で動いてやってきたので、ある程度見通しが立っています。でも、返済や金銭面、父のこと、家族の関係——自分以外のことは、まったく先が読めない。本来なら僕の力ではどうにもできない部分を、何とかしないといけない。それこそ、しんどいところです。
——ご両親のケアについて、やはり先のことは考えづらいということですよね。
家族のこと、お金のこと。いろいろなことがモヤモヤしていて、まだ気持ちの整理ができていません。手続きや制度のことにも、常に気を配らないといけない。あちこちにアンテナを張っていないといけないのも厳しいです。
近い将来、就職して家を出て、一人暮らしを始めることが決まりました。しかしながら、それで家庭のことが解決するわけではありません。離れても父のケアは続くし、金銭的な問題も残ったまま。むしろ母に負担が集中する心配がある。当然、父母からすっきりした気持ちで送り出されるわけもない。
ただ、僕には僕の人生がある。家庭の問題はいったん横に置いて、まずは一人暮らしをして、自分の足で立つ道を選びました。逃げるわけじゃなくて、自分が自立して収入を得て、できる形で家族を支えていく。そのための一歩だと思っています。やれることは、自分なりに精一杯やってきたつもりです。その点で後悔することはないと思っています。
様々な感情が絡み合ったまま、家族の問題を長い間ひとりで抱えてきたAさんが、考えた末に下したのは、家を出るという決断だった。家族から逃げるためではない。自分の足で立ち、自分のやり方で支えていくために、あえて距離を置く。まだ何も解決してはいないけれど、Aさんは、次の一歩を踏み出そうとしていた。
このインタビューから2年後、一人暮らしを始めたAさんと家族にどんな変化が訪れたのか。次回、最終回では、時を経た状況や精神面の変遷を丁寧にたどる。(#3に続く)
執筆
花田優子
ワーキングケアラー、元ヤングケアラーというバックグラウンドを持つディレクター・ライター。様々な経験から得た当事者視点を強みとして、時事・社会問題からビジネス、ITまで幅広いテーマのコンテンツを制作。




